
コツコツチャレンジの原点
― 大陸横断・アフリカ起業を経て、設備延命という仕事にたどり着くまで ―
「修理できなければ、工場を閉めるしかない」
ある日、私のもとにこんな言葉が届きました。
工場の設備を動かしている制御用パソコンが突然故障し、メーカーに問い合わせたところ「古すぎて部品がありません」と断られた。次に相談した修理会社でも「対応できません」と言われた。設備を更新しようにも、費用は数千万円では済まない。そして出てきた言葉が、冒頭の一言でした。
PCが壊れたのか、工場が終わるのか。その二つが同じ話になってしまっている。
こういう場面に、私はこれまでに何度も立ち会ってきました。修理して設備が動き出す瞬間も見てきました。そのたびに思うのは、これは単なるPC修理の話ではないということです。
私がこの仕事を続けているのには、理由があります。それは技術者としての使命感とか、ビジネスの論理とか、そういう話より前にあるものです。今日は、そこから話をさせてください。
大陸横断とキリマンジャロ
~「諦めなければ、人は前に進める」という確信~
若い頃、私は自転車で大陸横断に挑みました。―
長距離を自分の足で進んでいくという行為は、思っていた以上に孤独で、体力的にも過酷なものでした。途中で何度もやめようと思いました。天候に翻弄される日もあったし、体が動かなくなる日もありました。それでも、一日一日ペダルを踏んでいると、確実に前に進む。
どんなに遅くても、止まらない限り、ゴールに近づいていく。

この経験で体に刻まれたことが一つあります。諦めなければ、人は必ず前に進める。
その後、アフリカ最高峰のキリマンジャロに挑みました。標高5,895メートル。高山病、極寒、体力の限界。大陸横断とはまた別の種類の厳しさがありましたが、ここで学んだことも本質的には同じでした。

大きな目標は、結局、小さな一歩の積み重ねでしか達成できない。
「コツコツチャレンジ」という言葉が、当社の経営理念として生まれた原点はここにあります。大げさな理念を掲げたわけではなく、自分が体験を通して本当にそう感じたから、そのまま言葉にしました。
ケニアでの起業
~現地で出会った「諦めない修理文化」~
大陸横断の後、私はケニアで日本からの中古車を販売する会社を起業しました。―
中古車を売るというのは、当然ながら、売って終わりではありません。修理、整備、部品調達。さまざまな問題が次々に出てきます。その現場で、私は現地の人たちの仕事ぶりに何度も驚かされました。
日本なら「古すぎる、部品がない、もう無理だ」と言われるような車でも、ケニアの整備士たちは絶対に諦めません。部品がなければ工夫して作る。そのままでは合わなければ削る、加工する、組み合わせる。試して、失敗して、また試す。どんなに古い車でも、修理して使い続けるのです。

壊れたから終わりではない。工夫すれば、まだ使い続けられる。
この考え方を、私は現地の整備士たちの手から学びました。「修理不可」という言葉を軽々しく使わない姿勢。できることを全部やってから、初めて結論を出す誠実さ。あの現場での経験が、今の私の仕事の根っこになっています。
Made in Japanへの誇り
~海外で初めて気づいた日本の底力~
ケニアで仕事をしていて、もう一つ強く印象に残っていることがあります。現地での日本製品への信頼の高さです。
特に日本車の評価は別格でした。TOYOTAやNISSAN。日本では「古い」と言われるような車でも、現地では元気に走り続けています。100万キロを超えるものも珍しくない。現地の人たちは口をそろえて言うのです。「日本の車は壊れない」と。

日本製のラップトップを扱ったときも同じでした。多少値段が高くても「Made in Japanがいい」と言って選んでいく人が多かった。
日本の外に出て初めて、日本のものづくりが世界からどう見られているかが分かりました。その信頼は偶然ではなく、長年にわたって積み上げられてきた技術と誠実さの結果です。そのことに、私は深く誇りを感じました。日本人として、この技術を守る側に立ちたいという気持ちが、このときから強くなっていきました。
帰国後に見た現実
~技術のある工場が、静かに消えていく~
ケニアでの経験を経て日本に戻った私は、別の現実を目の当たりにしました。
日本の製造業、特に町工場では、技術者の高齢化、後継者不足、設備の老朽化が重なり、高い技術を持つ会社が静かに消えていく現実がありました。そして、その引き金の一つになっていたのが、設備を動かしているパソコンの故障でした。
設備そのものはまだ使える。加工技術も残っている。取引先もある。それなのに、制御用の古いパソコンが壊れ、「修理不可能」と言われたことで、生産を続けられなくなる。その結果、工場を畳まざるを得なくなる。そんな場面を、私は何度も見てきました。
ケニアの整備士たちが古い車を絶対に諦めなかったこと。現地で感じた日本のものづくりへの誇り。そして目の前で起きている、工場が消えていく現実。この三つが私の中でぶつかり合い、一つの問いが生まれました。
これは単なるパソコン修理の話ではない。日本の技術が失われるかどうかの話だ、と。
冒頭の「工場を閉めるしかない」という言葉は、その問いをいつも鮮明に思い出させてくれます。

設備延命の本質
~PCを直すのではなく、投資のタイミングを守る~
設備延命とは何か、とよく聞かれます。私はいつもこう答えています。
古いパソコンを修理することが目的なのではなく、企業が設備投資のタイミングを自分でコントロールできるようにすること。これが設備延命の本質だと考えています。

制御用パソコンが突然壊れれば、企業は予期せぬタイミングで数千万円から数億円の投資を迫られます。資金計画は崩れ、現場は混乱します。最悪の場合、そのまま廃業という判断につながることもある。
しかし設備を延命できれば、「今すぐ更新しなくていい」という選択肢が生まれます。投資のタイミングを自分で決められる。計画的に次の一手を打てる。それだけで、経営の余裕がまったく変わってくるのです。
私たちが提供しているのはPC修理という作業ではなく、経営判断の材料です。延命が可能であればそのコストを数値化し、設備更新との比較ができる形でお伝えする。延命が難しい場合であっても、調査の結果を詳細なレポートにまとめ、次の意思決定に使っていただける形で納品する。それが私たちの仕事だと思っています。
私が大切にしていること
~できる限りを尽くして、最後まで責任を持つ~
私はこれまで3万台以上のパソコンの修理・延命に関わってきました。その経験から言えることがあります。「修理不可能」という言葉は、本当に不可能なのか、単に調べ尽くしていないだけなのか、この二つはまったく違います。

私が大切にしているのは、できる限りのことを試してから結論を出すということです。他社で修理不可と言われた設備でも、私たちの手元に来てから復旧できたケースが数多くあります。部品がなければ世界中から調達する。それでも見つからなければ互換品を探す。それでもだめなら別の延命手段を考える。諦めるのは、本当に全部やり切ってからです。
もう一つ、私が絶対に外さないと決めていることがあります。それは、復旧するまで責任を持つということです。
一般的な技術者は方法を提示できますが、結果に責任を負うことはできません。私はそうではなく、設備が安定して稼働できる状態になるまで、責任を持って向き合います。これは技術の問題というより、姿勢の問題です。ケニアで整備士たちが車と向き合っていた誠実さと、根本的には同じものだと思っています。
また、私は早稲田大学で制御工学を学び、アメリカのシリコンバレーでプログラミングを習得しました。さらにプラント設備の運用経験もあります。机上の理論だけでなく現場を知っているからこそ、「この設備に本当に必要な延命策は何か」を的確に判断できると自負しています。
コツコツチャレンジは、今も設備の前で続いている
大陸横断、キリマンジャロ登頂、ケニアでの起業、現地で出会った修理文化、日本製品への信頼、帰国後に見た町工場の現実。一見バラバラに見えるこれらの経験は、私の中では一本につながっています。
諦めずに試すこと。小さくても前に進むこと。工夫を重ねること。その積み重ねが道を開く。
それが「コツコツチャレンジ」という言葉の中身です。
私たちの仕事は、古い設備をもう一度動かすことです。それは単なるPC修理でも、単なる延命作業でもありません。日本のものづくりを足元から支える仕事だと、私は本気でそう思っています。
「まだ動いているから大丈夫」と思っているうちに、手を打てる時間は着実に減っていきます。動いている今だからこそ、対策できる。そのことを、ぜひ一度考えていただければと思います。

株式会社日本ピーシーエキスパート 代表取締役 森田起也